茨城県企業における脱炭素化の現状と展望
- Tech Thinker

- 8月24日
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エグゼクティブ・サマリー
大規模産業から中小企業、農業まで:茨城県の包括的脱炭素戦略
本報告書は、茨城県内の企業部門が直面する脱炭素化の現状と、それに対する県の戦略、および個別の取り組み事例を包括的に分析したものである。調査の結果、茨城県は、その特殊な産業構造、すなわち臨海部に集中する重厚長大産業と、多数の内陸部中小企業、そして広範な農業セクターという三つの異なる主体に対し、それぞれ最適化された多層的な脱炭素化戦略を推進していることが明らかとなった。
大規模産業セクターでは、鹿島臨海工業地帯を中核とした水素やアンモニア等の次世代エネルギーサプライチェーン構築という、国家戦略レベルの大規模プロジェクトが進行している。これは、同地域の膨大な温室効果ガス排出量という根本的課題に対処するための、県主導の抜本的なアプローチである。一方、多数を占める中小企業に対しては、脱炭素経営支援システムによるCO2排出量の「見える化」や、省エネ診断に基づく設備導入補助金といった、実践的かつ段階的な支援策が提供されている。これにより、脱炭素化がコスト削減やサプライチェーン要請への対応といった経営上のメリットと結びつくよう促されている。また、農業分野においては、スマート農業技術の導入が、労働力不足やコスト削減という喫緊の課題を解決する過程で、副次的に温室効果ガス排出削減に貢献するという独自の進展を見せている。
これらの取り組みは、大規模産業における技術的ハードルや、中小企業における初期投資負担といった課題に直面しつつも、地域全体での脱炭素化に向けた強固な基盤を形成している。この多層的な戦略は、将来的に新エネルギー供給拠点としての競争力向上や、災害に強い分散型エネルギーシステムの構築に繋がり、持続可能な地域社会の実現に寄与するものと結論付けられる。

目的と背景
茨城県における脱炭素化の現状と展望: 政策、産業、および課題分析
本報告書は、茨城県の企業部門における脱炭素化の現状を、政策、産業セクター、個別企業の各層から多角的に分析し、その課題、成功要因、および将来展望を明らかにすることを目的とする。茨城県の脱炭素化を理解する上で、その独特な産業構造を考慮することは不可欠である。県内の二酸化炭素排出量の約6割が産業部門から発生しており、そのうち約9割が港湾や工業地帯を抱える臨海部に集中していることが指摘されている。この集中した排出構造は、全国的に見ても珍しいものであり、茨城県独自の脱炭素化戦略が求められる背景となっている。
茨城県の脱炭素化における重要論点
茨城県の脱炭素化戦略は、この特殊な産業構造を前提に構築されており、以下に示す三つの重要論点に集約される。第一に、臨海部の重厚長大産業における大規模な排出量削減と、それに必要となる新技術導入の推進。第二に、県内経済の大部分を占める中小企業が脱炭素経営へと円滑に移行できるよう支援すること。そして第三に、基幹産業である農業における環境負荷低減と生産性の両立である。本報告書は、これらの要素を包括的に分析し、茨城県がどのようにして脱炭素化を地域全体の競争力向上へと結びつけようとしているかを考察する。
茨城県の脱炭素化に向けた政策と支援策
国目標に準拠した全セクターの削減と地域主導の脱炭素推進
茨城県は、国の目標に準拠し、産業部門を含む全セクターで2030年度の温室効果ガス削減目標を設定しており、これは産業界への具体的な削減努力を求める明確な意思表明である。県全体の方針に加え、多くの市町村も脱炭素社会の実現に向けて積極的な姿勢を示している。笠間市、茨城町、ひたちなか市など、複数の自治体が「ゼロカーボンシティ」を宣言しており、地方自治体が率先して脱炭素を推進する構図が形成されている。
各自治体は具体的な目標も設定している。鹿嶋市は、2030年度までに市の事務・事業における温室効果ガスを2013年度比で50%削減するという目標を掲げている。また、北茨城市は、2030年度の全体目標を2013年度比51%削減とし、その中で産業部門に40%の削減を求めている。これらの取り組みは、トップダウンの方針だけでなく、各地域の特性に応じたボトムアップの動きが活発に進行していることを示している。
県および市町村の脱炭素目標と計画
県と市町村が一体となったゼロカーボンへの挑戦
企業向けの具体的な支援プログラム
診断から計画・実行・継続へ──茨城県が示す中小企業脱炭素経営の実践モデル
茨城県および各市は、中小企業が脱炭素化に取り組むための具体的な支援策を体系的に提供している。その中核をなすのが「中小規模事業所省エネ対策設備導入補助金」であり、これは単なる資金提供に留まらない、戦略的な仕組みとして機能している。
この補助金は、まず「中小規模事業所省エネルギー診断」を受診することが必須要件とされている。この診断では、専門家が事業所のエネルギー使用状況を評価し、高効率機器の導入や運用改善策を提案する。日立市が提供する「脱炭素経営支援システム」も、CO2排出量を自動換算して可視化し、自社に即した省エネ施策のロードマップ作成を支援するツールとして機能している。このプロセスを通じて、企業は自身のエネルギー利用状況を正確に把握し、場当たり的な対策ではなく、計画的かつ根本的な改善に取り組むことができる。
さらに、補助金受給には「茨城エコ事業所」や「いばらきエコチャレンジ」への登録が求められる。これらの要件は、単発の設備導入で終わるのではなく、脱炭素化を継続的な経営活動として事業に組み込むことを企業に促す意図がある。この「診断→計画→実行→継続」という段階的なプロセスは、中小企業が脱炭素化を外部から課せられたコストではなく、自社の競争力強化に繋がる経営戦略として捉えるための基盤を形成している。
中小企業の先進事例
コスト削減から始まる戦略的脱炭素経営
大規模産業が国家的な戦略の下で動く一方、県内の内陸部に位置する中小企業は、より現実的な経営課題を出発点として脱炭素化を進めている。これは、臨海部の巨大プロジェクトとは異なる、もう一つの重要なベクトルを形成している。
その代表的な事例が、日崎工業株式会社である。同社が脱炭素化に本格的に取り組むきっかけは、2011年の東日本大震災後の業績悪化と、代表者の個人的な原発事故の経験であった。経費削減を目的とした取り組みが、持続可能な社会への貢献というより大きな目標へと進化していったのである。同社は、まず工場の照明をLED化して電力使用量を66%削減し、続いて省エネ型の加工機を導入して消費電力を50%削減しながら生産性を向上させた。さらに、自家消費型の太陽光パネルや蓄電池を設置し、事業エネルギーの約25%を再生可能エネルギーで賄うまでに至っている。こうした段階的なアプローチの結果、同社は2030年までの完全脱炭素化(再生可能エネルギー100%活用)を目標に掲げている。
この事例は、脱炭素化の動機が、必ずしも最初から環境意識や外部からの要請にあるのではなく、コスト削減やBCP(事業継続計画)といった内発的かつ現実的な経営課題から始まり、それが次第に戦略的な目標へと発展していく過程を示している。他にも、CO2排出量の「見える化」に取り組む株式会社今橋製作所や、エアコン室外機への遮熱塗装やエア漏れ診断を実施する株式会社スミハツといった事例も、同様の自発的な取り組みを示唆している。
製造業における取り組み
臨海工業地帯から始まる大規模エネルギー転換
茨城県の製造業における脱炭素化は、その排出量の大部分を占める臨海工業地帯を中心とした大規模な変革が中核となっている。この地域は、石油精製や石油化学、鉄鋼といった基礎素材産業が国内有数の規模で集積しており、県は「いばらきカーボンニュートラル産業拠点創出プロジェクト」を立ち上げ、総額200億円の基金を創設するなど、官民学の連携基盤を構築している。
この取り組みの具体例として、2022年9月に締結された茨城県と三菱ケミカルとの戦略的パートナーシップ協定が挙げられる。この協定に基づき、両者はケミカルリサイクルによるプラスチック資源循環や、化石燃料由来からバイオ由来の原材料への転換、そして新エネルギーおよび再生可能エネルギーの導入を共同で推進している。
さらに、臨海部では将来のエネルギー転換に向けたロードマップが策定されている。鹿島港は、洋上風力発電設備の基地港湾に指定され、発電量約16万kWの洋上風力発電所建設も計画されている。また、常陸那珂や鹿島地区では、石炭火力発電所でのアンモニア混焼や、水素還元製鉄、石油化学へのグリーン水素導入といった、脱炭素燃料サプライチェーンの構築に向けた需要の掘り起こしが進められている。これらの取り組みは、県が臨海部の重厚長大産業が直面する抜本的なエネルギー転換の課題に対し、個社の努力では解決できないインフラレベルの対策を国家戦略として推進していることを示している。
農業における取り組み
効率化が生み出す必然的な脱炭素 ― 茨城県農業のスマート化と環境負荷低減
茨城県の農業は、全国有数の産出額を誇る基幹産業である一方、生産者の高齢化や労働力不足といった課題に直面している。このセクターにおける脱炭素化は、製造業とは異なり、労働力削減や生産性向上といった経済的・社会的な課題を解決する過程で、副次的な効果として実現されている点が特徴である。
県内では、労働力不足を解消するため、ロボットトラクタ、直進アシスト機能付き田植え機、リモートセンシング用ドローンといったスマート農業技術の導入が進んでいる。これらの技術は、作業時間の大幅な短縮や、熟練度を問わない作業品質の確保に貢献し、生産費の削減にも繋がっている。
この効率化は、化石燃料を使用する農業機械の稼働時間を短縮させるだけでなく、ドローンによる可変施肥など、肥料や農薬の適正量を正確に散布することで資源の無駄を削減し、温室効果ガス排出量の抑制に貢献している。また、複合環境制御装置は、温度・湿度の最適管理によって病気の発生を抑え、廃棄量を約85%削減し、収量向上に繋がっている。
さらに、北茨城市では、フードマイレージ(食料輸送に伴うCO2排出量)を意識した地産地消の推進も掲げられている。これは、輸送距離の短縮を通じて、間接的に温室効果ガスを削減するアプローチである。
このように、茨城県の農業における脱炭素化は、「外部から課されたコスト」としてではなく、「事業効率化による必然的な成果」として捉えられている。この認識は、経営継続の課題解決と環境負荷低減を両立させることで、技術導入の障壁を下げ、より広範な普及を促す可能性を秘めている。
サプライチェーン排出量と企業連携の現状
サプライチェーン全体で進む脱炭素化――地域連携が生む「共進化」の機会
脱炭素化の流れが加速する中、自社のみならず、サプライチェーン全体での排出量削減(スコープ3)が企業に求められるようになっている。この要請は、サプライヤーである中小企業にとって、大企業との取引関係を強化し、新たなビジネスチャンスを獲得する機会となる一方、対応が遅れれば取引から排除されるリスクにもなりうる。
茨城県では、この「外圧」を地域産業全体の競争力向上へと繋げるための取り組みが始まっている。北茨城市は、中小企業向けにPPA(電力購入契約)導入説明会を開催するなど、脱炭素化に関する情報提供を推進している。また、日立市は、太陽光発電等の余剰電力を地域内で融通し合う「地域内シェアリングシステム」の構築を検討している。
これらの施策は、単に個々の企業を支援するだけでなく、地域内で再生可能エネルギーを地産地消する強固なネットワークを構築することを目指している。これにより、各企業が個別に対応するよりも、地域全体で効率的に脱炭素化を進めることが可能となり、エネルギーコスト削減という共通の経済的メリットを享受できる。サプライチェーンの脱炭素化は、単なるコスト転嫁ではなく、地域産業の強固な連携を再構築し、共同の経済的利益を生み出す「共進化」の機会となりうるのである。
技術的・経済的課題
産業構造の壁と中小企業支援の課題に直面する茨城県の脱炭素戦略
茨城県の脱炭素化は、明確な戦略の下で進んでいるものの、いくつかの重要な課題に直面している。まず、臨海部の重厚長大産業が直面する技術的ハードルである。茨城県知事は、産業部門の排出量が多く、現時点の技術水準では具体的な脱炭素化の道筋を描くことが難しいとの見解を示している。これは、水素還元製鉄やアンモニア専焼化といった革新技術が、まだ実用化・商用化の初期段階にあることを示唆している。
この発言は、単なる悲観論ではなく、現状の延長線上では目標達成が困難であることを示し、それを克服するためには、大胆な「バックキャスティング」(目標から逆算して必要な対策を講じること)と大規模な投資が不可欠であるという強い意思表明と解釈できる。
また、中小企業にとっては、設備の高額な導入費用が依然として大きな障壁となっている。補助金は有効な手段であるものの、自己負担分や複雑な申請手続きの負担は無視できず、さらなる支援の強化や手続きの簡素化が求められる。サプライチェーン全体での排出量削減への対応はまだ発展途上であり、多数の中小企業がこの要請に応えるための実務能力や意識を向上させることが今後の課題となる。
将来展望
脱炭素化がもたらす地域競争力とレジリエンスの向上
これらの課題を克服することで、茨城県は脱炭素社会の実現に向けた優位性を確立する可能性がある。臨海部のポテンシャルを活かした水素・アンモニア供給拠点化や洋上風力発電は、県全体の脱炭素化を牽引する柱となる。これらの新エネルギーが地域内で地産地消されることで、エネルギーの安定供給が確保され、企業の立地競争力が向上する。
さらに、脱炭素化はBCP(事業継続計画)と統合される動きも見られる。住宅への太陽光発電やV2H(Vehicle-to-Home)の推進は、災害時においてもエネルギーを確保できる分散型・レジリエントな社会の構築に繋がる。これにより、脱炭素化は単なる環境対策ではなく、企業や地域の持続可能性を高めるための不可欠な要素として位置づけられる。
※テックシンカーは、AIエージェントを活用し、脱炭素業務推進に伴う技術的・コスト的・組織的課題を解消し、企業の価値創出と持続的成長を支援します。




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